人は都市に住むしかないのか?〜分裂する地方と都市〜

少子高齢社会の進行は、地方から都市への人口の流出や地方機能の都市への集約化という形で顕著に表れる。
若者は都市生活にあこがれを持つだけではなく、現実的な生活の問題として岐路に立たされる。
地方では就職先が乏しい。そのため必然的に都市へ就職を求めることとなる。そして、都市で就職先をみつけるとそこに定住する形となる。
だが、ある程度時間が経って地方に残された親が高齢になると養護という問題が起こってくる。しかし、地方では再就職先がほとんど無いため、都市に移住するか高齢化することを見越した上で施設に預けることを覚悟するかと云うような二つの選択に迫られる可能性が考えられる。
これを回避するためには、長男、長女や兄弟間で「誰が地方(実家)に残るのか」ということをあらかじめ話し合っておくか、新居を建てる費用を蓄えておくかという事になるだろう。従ってそれは、人生設計に於いても重要な岐路と成りえる。だが、少子化によってそのような選択ができない場合も考えられる。その場合はやはり就職している地域への移住しか選択肢は考えられないだろう。
地方の過疎化は家族生活の分裂になるが、やがてそれは少子高齢社会によって地方の廃村という結果に帰結する。
現在の正月、GW、お盆などに見られるような一時的な帰省ラッシュなどの風景は、後20年もしないうちに減少すると思われる。それは、地方社会が完全な高齢社会に移行する事を意味している。
少子高齢社会がもたらす風景は、地方或いは都市どちらかへのほぼ完全な移住であり二極化にあると指摘できる。それは、地方と都市が分裂する二極化した社会の到来であり、私はそれを二極化社会或いは二極社会と述べることとしたい。また、これを今後も格差社会と位置づけるかどうかに関しては疑問が残る。