伝統とは何か 〜三社祭の話を聞いて〜

いきなりでかいテーマですが・・・。
今月の出来事を振り替えってみると、三社祭の事がちょっと印象に残っています。御輿の上に人が乗って、何人か逮捕された事件です。でも、私の地元の祭りでも御輿の上に人が乗って場を盛り上げている光景があるので、私自身はあまり不思議に思ったことはありません。まぁ、よくよく考えてみれば神様を祀った場所に人が上がっているわけですから見る人が見ればけしからん光景なのでしょう。
しかし、この件で不思議に思うことは去年の三社祭の事故が起きる前までは、御輿の上に人が上がっている事に問題があると、どの程度まで指摘がなされていたのかという点です。
実は、事件が起こってから問題視されるようになったのではないかと考えられる節が報道を聞く限りではいくつかあります。
つまり、事件が起こる前まではそれほど気にとまらない光景だったのではないかと云うことです。
また、祭りへの参加者の殆どが地元の参加者ではなく外部からの参加の方が多い事も指摘できます。
外部から来る参加者が自身が参加する祭りの歴史性などをどの程度まで理解しているのか、きっと殆どの参加者が深くは理解していないでしょう。(それよりも、楽しめるかどうかの方が優先されるはずです)
多分、きちんと把握されていれば御輿の上に人が乗る事もなかったでしょう。
つまり、外部から人が流入することによって、祭り自体の性質が少しづつ変化しているという事実をもっと認識するべきなのではないでしょうか。それを頑なに守り続けなければならないのであれば、そこには明確な仕来りが必要とされるでしょう。それは別に祭りだけではなくそのほか様々な事に云えることです。
そこには、「何年続けば伝統(註1)になるのか」という問題が絡んできます。
御輿の上に人が乗る事も、20年程は続けられてきたと云います。では、それは伝統ではないのかという話も展開できるわけです。(これは三社祭に限った事ではありません)
いつも、こういうものを見ていると根本的な議論をすっ飛ばして賛成か反対かという両極端な議論に終始しているのが目につきます。だからといって、今回御輿に乗って逮捕された方々を弁護しようとかそういう意図は全くなくて、「それはそれ、これはこれ」として云わなければなりません。
しかし本当に考えなければいけないのは、伝統も時代の中で少しづつ変化していて、そういった変化の中で重要だと思うものをどうやって次に伝えていくのかと云うことです。それは言い換えれば、何を切り捨てていくのかという事にもなってきます。
御輿の上に人が乗ることを絶対にだめだというのか、もう何年も続いてきてしまったのだから何人までなら良いと許可をするのは主催する人たちのさじ加減次第です。つまり、そこに住む生活者がどのような選択をしていくかで伝統の存続も決まってくるのでしょう。

(註1)伝統 ある民族・社会・集団の中で、思想・風俗・習慣・様式・技術・しきたりなど、規範的なものとして古くから受け継がれてきた事柄。 大辞泉より