ワーキングプア〜働く貧困層・拡大する格差社会〜

近世から近代にかけての、貨幣経済の浸透によって、市場の欲求が生産者側にダイレクトに繋がる社会になった。例えば、それまでは、自分たちが食べる分の食料を自給していればよかったが、貨幣経済の浸透に伴って現金を獲得するための生業に生活が移行したのである。
ライブドアによる株取引などは、最近マスメディアを騒がせた。しかし、株が一体なのを産むのだろうか、現金しか産まないのである。これは、個人的な感想であるが、現代は現金が現金を産む時代になってしまったのではないか、と思えてしかたがない。それは、矛盾の時代でもある。今日に於いて、過去の生業(例えば、養蚕、焼き畑など)に触れたとき、私は漠然とした矛盾やギャップを感じてしまう事がある。「過去の生業」と云ってしまうと、大変語弊を招く恐れがあるのだが、それは実際に「モノ」を生み出したり獲得したりする生業と云えばいいだろうか。
そう云った生業に触れたとき、現代社会は本当にこのままで良いのか、という漠然とした不安に襲われることがある。
8月22日のNHKスペシャルでワーキングプアの問題が取り上げられていたが、農家などの生産者や、一級の裁縫資格を持った人が年収200万を切り税金を納められないという。そして、30代の働き盛りの男性が路上ホームレスを行う傍ら、雑誌を拾ったり空き缶を集めてやっと生計を立てていた。
先日、12月10日にもワーキングプアⅡが放送され、反響を呼んでいるようである。ワーキングプアⅡでは、80歳の老人の方が空き缶拾いをしながら生活を行っている現代社会の惨状が報道された。
これが、同じ日本国内に住む人なのかと自分の耳を疑った次第だ。これでは、「世界がもし100人の村だったら」などの中で取り上げられる人達や、過去の婆捨て山となんら変わりはないのではないか、と思えてならないのである。日本社会でも、こういった格差が広がっている中、お金を持った人が外国へ税金逃れのために日本脱出を図っているのも現状だ。
外国に生産産業がシフトした事は、確かに安いものを大量に仕入れる事には成功したが、その結果地方産業へ与えたダメージは計り知れないものがある。以前、養蚕で携わった方の話で、「今では、流行廃りだけが専攻して良いものが残らない」と語っていたのが印象的であった。本当に良いものを何十年も使い続けれるなら、これ以上の資源の有効活用はない。それこそが、環境保護と云えるのではないだろうか。
 働いても稼げないワーキングプア、今後こういった現象がどんどん高齢層の方々に広がっていく事が懸念される。実際、既に地方町村では深刻な問題になっている。国家の負債は850兆円に達し、マスメディアではまるで日本にはこれだけ借金があるのだ、と云わんばかりだ。見せびらかしとも思える税金無駄遣い特番を、何一つ具体的な対策や指針を示さないまま、一ヶ月に一度は放送しているのも現状だ。つい6年ほど前、メディアでは国家の借金が500兆円あると大々的に騒いでいた。なんと、放送している内容は現在と何ら変わっていないのである。その間、何があったかというとパラサイトシングルからニートの出現である。好きこのんでニートになった人はどうしようもないが、ワーキングプアのように働きたいがその場所さえ与えられないのには問題がある。今後、こういった問題が深刻化すれば、最悪ストリートチルドレンなどが出現するのではないか、という不安を私は抱いているのである。実際、ワーキングプアの問題を取り上げた中で、経済的に子どもを育てられなくなって施設に預けられた子ども達が紹介されている。無論、だからといって株取引きを非難したり稼げている人を非難したい訳ではない。ものを生産する人や働き盛りの人が平穏な日常生活を過ごせる時代に、それが今の日本にとって何とかするべき急務の課題なのだと私は考える。